ニキビ治療の原理
ルネサンスの時期までは異教的な思想であり、少なくとも生物の研究にかんしては生気論が圧倒的に優位をしめていました。
ルネサンスの時期に原子論が復活したことには、ふたつの理由があります。
中世から長くつづいたキリスト教的な世界や錬金術的な世界に辟易し、異教的なものをもとめていた知識人たちが異端思想としての古代原子論に新鮮な魅力を感じたこと、そして、人間の社会を個人の総和としてとらえる「個人主義」の思想が生まれ、それが原子論に親和性をいだかせることになったという事情があったともかんがえられるのです。
素朴な古代原子論的な発想は一七世紀後半から、はっきりとした「機械論」(メカニズム)という姿をとりはじめました。
「機械論」とは、自然界が時計仕掛けのように、各構成要素の必然的な変化や運動にしたがって運行しているとみなす立場です。
「動物機械論」を提唱したデカルトは、人間の精神にのみ「アニマ」をみとめ、植物も動物も人体も機械とおなじ物体にはかならず、物理学の法則にしたがうものであると主張しました。
さらにド・ラ・メトリーは『人間機械論』で、人間もまた完全な機械であり、人間の思考も脳髄のはたらきにすぎないと主張して、近代の科学的な生命観の基礎を築いたのです。
すでにおわかりのように、現代医学は原子論・機械論の直系の末裔であり、代替医療のほとんどは生気論・広義の生気論の親族であるということができます。
前者は「生命力」の存在をみとめず、後者は「生命力」や「自発的治癒力」をみとめ、「気」「プラーナ」「サトル(微細)エネルギー」などの「生気」に介入して、それらを最大限に賦活させることを目標としているからです。
このふたつの思想は、生命にたいする人間のさまざまなかんがえかたの両極に位置するものであり、数千年をへても、いまだに反りがあわない、いわば宿敵関係にある思想です。
現代医学の医師と代替医療の治療家の多くが相手にたいする不信感をぬぐい去ることができない原因も、その生命観の相違にあるのです。
近代の自然科学の歴史はある意味で、機械論が生気論的な生命観をじょじょに粛清していく、征服の歴史でもありました。
機械論は生命や人間から神秘性をはぎとって、自然界における各構成要素の必然的な運動を支配している「法則」の存在を科学者に確信させ、「法則」の発見を追いもとめさせることによって科学を発展させていくという、一種の動力の役割を果たしながら現代文明の成立に寄与してきました。
そして、科学が政治や教育や医療をふくむ人間のあらゆる社会活動の規範とされている現代では、生命の神秘性や不可知性について公的な場で言及すること(生気論者であるとみられること)がためらわれるような空気が醸成されています。
とりわけ現代医学の世界ではその傾向がつよく、医師も患者も、「非科学的」とされる生命力・自発的治癒力や生命の神秘性について臨床の場でフランクには語りにくい、一種のタブー意識をもっているように感じられるのです。
みずからの末期がんの病床で、ある医師が口にしたことばが、その閉塞的な状況をよくあらわしています。
科学の信奉者であったその医師は、現代医学のあらゆる治療が期待した効果をもたらさず、いよいよ死を覚悟したとき、ナースの励ましのことばに答えて、科学の殉教者のような反応をしたのです。
「先生。
医学だっていのちのことがすべてわかっているわけじゃありませんよ。
まだ奇蹟があるじゃないですか」「きみ、それをいっちゃ、おしまいだよ」その医師は残念ながら、それからまもなく亡くなりましたが、代替医療に賭けて末期がんから生還した人たちの多くは、その「奇蹟」を信じることから再出発して再び健康を手にしています。
どうやら、「存在の無根拠性(無目的・無常)のなかにこそ存在の奇蹟性や神秘性がある」という哲学者マルティン・ハイデガーのことばは信頼に足るもののようなのです。
「信念だけでも治ることがある」というワイルの指摘は、機械論的な「科学信仰」のように、生命力にたいして否定的な信念が自発的治癒力を阻害することもあるということの裏がえしなのかもしれません。
機械論に対抗する人たち数学を味方にしてつぎつぎと自然界の「法則」を発見し、厳密な理論を構築していく機械論に圧倒されるかにみえた近代の生気論は、しかし、なかなか息の根をとめようとはしませんでした。
否定されても嘲笑されても、新しい生気論者があとからあとから登場してきたのです。
一七世紀後半から一八世紀にかけては、ヘルモント、ビシャー、ハンター、ブルーメンバッハなどが機械論への反論を試みました。
デカルトの「動物機械論」に反対したファン・ヘルモントは、からだとたましいを結合する霊的な気体である「アルケウス」(原初力)が病因と闘い、治癒をもたらすと主張して、現在の自発的治癒論の先駆者ともかんがえられています。
一六世紀に活躍したパラケルススは酒精の純製法を考案してアルコールを抽出するなど、「化学の父」とよばれる人である一方、生命作用を霊妙な「アルケウス」によるものだとかんがえる生粋の生気論者でもあり、ヘルモントはその系譜を継ぐ人だったのです。
M・F・ビシャーは厳密に有機体論的な生気論を唱えて「生気的唯物論」という折衷論を提唱し、-・ハンターは異質な物質のあいだを飛び交う「生気物質」を想定し、J・F・ブルーメンバッハは重力とおなじく、それ自体は目にみえないが結果によって観測できる「形成力」という概念を主張することで機械論に対抗しました。
一九世紀になっても生気論の系譜はつづきます。
フランスではいまもなお実験生物学や実験医学のバイブルとされている『実験医学序説』を書いたクロード・ベルナール、化学者・細菌学者のルイ・パスツール、思想家のアンリ・ベルクソンなどが機械論を退け、一種の生気論を提唱していたことはよく知られています。
一九世紀末、ウニの卵の発生実験をしていたハンス・ドリーシュは、実験結果が機械論では説明できないことに気づき、それまで否定していた生命力の存在を認めて、その力を「エンテレヒー」と名づけました(アリストテレスの「エンテレケイア=秩序を制御する完成態」に由来)。
エンテレヒーは「秩序または情報を供給する要因」であり、部分のなかに全体にかんする情報や秩序が埋めこまれていることを示唆する用語です。
発生しはじめたウニの胚を半分に切断しても、機械論者が予測していたように半分ずつの胚が偏頗に生長することはなく、小さいながらも完全な二匹のウニの幼生になる。
ふたつの胚を接続すると、ある条件下では一匹の巨大なウニになる。
二枚のガラス板で胚を圧迫して、物理的に細胞の位置を変えても、正常なウニが生まれる。
これらの結果は機械論にもとづく物理学や化学では説明が不可能であり、生命だけに特有の、目にみえない秩序性または情報性が胚にひめられていると想定しなければならない。
ドリーシュはそうかんがえたのです。
ドリーシュはもともと機械論者であり、DNAが発見されるずっと以前から「染色体上にメンデル遺伝子が存在し、それはおそらくは特異的な構造をもつ化学化合物である」ことも知っていました。
しかし、分断された胚が自律的な調整をおこなう以上、生物を機械のようなシステムとみなすことは不可能だとかんがえたのです。
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